ようこそ,インターネット文庫・平和への考察Profileへ
平和正と聞いても、殆どの人はお目に掛かった事もなく、何を糧に生きているかも知らないのですが、この人は、2,006年に努めていた食品スーパーが事業縮小した為、55歳の若さで突然職を失いました。其の時から物語を書く様に成り、年間所得100万円以上~200万以下の仕事をしながら、知り合いが日本人以外の男性と結婚したので、其れを題材に小説もどきの文章を書き始めた人です。
作家を夢見ていました 55歳に成る迄物語を書いた事もなく、その様な学習もした事もない者が作家に成れる筈が無いのに、一時騒がれた新風舎という自費出版の会社に原稿を送り、小説家を夢見た事も有りました。 会社を辞めた年に買ったパソコンとデジカメを持って、取りつかれた様に西都原古墳に通いました。オオヤマツミ神社、八尋殿跡、この花咲くや姫の産屋跡、ニニギの命と初めて逢った泉等に影響されて阿多という作品を書いたのもこの頃です。 石の上にも三年(6年)、ようやく作品を発表しました 何事も、石の上にも3年というのに、諦める気配などさらさらなく、2012年頃から、ウイキ―ペディアの中に欽明天皇に異説が有る事を知り、某社の新人賞を目指したのですが、直前に成ると何時も発生するプリンターのトラブルを考え、どうせ新人賞は頂けないのだからと、インターネット上で出版出来るキンドルに感動し、其処に原稿をアップロードしました。 目を覆いたくなるような恥ずかしいトラブルの連続でした キンドルでの出版は、まさに初体験だったので相当に混乱しました。2006年の阿多と2013年作の仮面旅を、どのような状況が次に訪れるかなど想像する事さえ出来ずに、2編を一作として出版する破目に至ったのです。 初体験の者がしでかした、この混沌とした状況が分かって頂けるでしょうか。 この花咲くや姫を底本にした物語と、異説・欽明天皇を描いた仮面旅の作品をどの様な名称で一括りにして、発表するか…。 平和への考察が初めて誕生しました 思い余った平和正は、この二編の作品を平和への考察として発表したのです。 ところが、発表後にトラブルが続出しました。勿論、キンドルに何の罪もない事は明白ですが、和正自身の希に見る早とちりと現状を的確に回復して正常化する能力の無さから、表紙の稚拙、目次の欠如、誤字脱字、意味不明箇所、時代錯誤等、出版後に様々な訂正個所が発見されたのです。 しかも、それら無数の訂正が一括してまとめて訂正が加えられた訳でなく、アップロードした原本からされたのかも分からず、その度に訂正され続けたらインターネットは足踏みします。 更に、キンドルは横書きだけでなく、縦書きも出来るのだと分かったから大変でした。 罪を犯した人を江戸時代では下手人と呼んだようですが、まさに、平和正は平成の下手人と言っても過言では有りませんでした。 数々の失敗が今回に繋がっていました 数々の罪を重ねてきた和正ですが、彼はそれらをものともせず、キンドルで同じ作品を出品しているにも関わらず、更にホームページ上にも発表しようと企んだ訳です。 |
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